専門家のことば

 専門家の口から出ることば、というのは、専門外の素人からすれば大変重いものだ。


 「こうなんじゃないか?」と思っていても、「大丈夫ですよ」や、「少し様子を見ましょうか」と、専門家に言われてしまうと、なんだ、取り越し苦労だったか、と片付いてしまう。しかし、専門家だって間違いはあるし、そのときの専門家が経験豊富なつわものだという保障もなく、あとから「実は違った」となることも多々ある。


 これが医療や教育の現場で「実は〜」となると、事は重大。命や人生に関わってくる。
 「ここんところにシコリが」
 「うーん、大丈夫ですよ、様子をみましょう」
 で、実はガンだった、気づいたときには遅かった、で、命を落とすケースもあるだろう。


 息子が1歳半検診とき、ことばが遅く、自閉の傾向もあるんじゃないか、と、相談をした相手がたまたま専門外だったのかもしれない。何もなければいいんだけど、と思っているところに「ようすを見ましょう」といわれれば、ああ、大丈夫なのかな、よかった。と安心する。安心したいから安心する。2歳過ぎて堰を切ったようにしゃべりだす子もいるよ、いや、あの子は3歳過ぎたらすごかったね、と、安心したい親を、周りは安心させてくれようとする。

 
 いつも一緒にいる親が一番良くわかっているはずなんだ。
 そしてその両親は、安心したい気持ち、に、寄りかかっていたという事実を2年後に突きつけられることになる。